つ ば き つ ぶ や き

140字のツイートの連投じゃ整理がつかねぇ時に更新されます

好きなアイドルが活動休止を発表した話

 数年前まで他サイトでブログをやっていた。ここと殆ど変わらない名前で、そこそこ長い間やっていた。自意識が最も過剰に踊り狂っていた中学生の頃に開設して、まあほんとに、そこそこ長い間である。

 何故その、そこそこ思い入れのあったアカウントをある日パタリとぶち消したかというと、ツイッターやらインスタグラムやらフェイスブックやら、まあお馴染みのSNSの台頭により、当時そのサイトで仲良くしていたフレンドがほぼ全員そっちへ流れていってしまったからである。そりゃあそんな状況になっちまったら、わたしだって独りでアメーバなうでつぶやき続けるよりも、ツイッターに引越しするにきまってるわけで。ちなみにわたしは、インスタグラムとフェイスブックはやっていない。

 さて。ブログをもう一度始める気になったのは、まあ正直決定的な理由とかは無い、と言いたかったところだったが、数日前、とても140字のぶつ切りの文章の連投などでは自らの考えを整理しきれない大きな出来事が起こった。がんばって思っていることの端の端までここに今から詰め込もうと思うが、さして頭も良くない一学生の頭の中の垂れ流しにしか過ぎないことは間違いない。それでも、今回のことは本当にたくさんの感情がぐちゃぐちゃになり、たくさん考えさせられた。最初のブログ記事にはこのことを書こう、そう思ってこの場を開設した次第である。

 

 数日前、好きなアイドルグループが活動休止を発表した。

 発表のあった日のわたしはというと、先ずその前日、最も仲の良い友人と少し高めのディナーを楽しみ、友人宅で深夜のどうでもいいテレビで笑いつつ明け方に就寝。朝には友人がTHE・日本人と思わせてくれるようなホカホカ朝ご飯を用意してくれて、大好きなサークルで数時間作業をして、遅めの昼食としてサークル仲間と美味しいラーメンを食べて解散した。

 そして帰宅し、まだ夕方の早い時間帯ではあったが、あまり体調も良くなく疲労がたまっていたので、一缶だけチューハイを飲んだら仮眠をとろうと、冷蔵庫から缶を取り出し、机に置いて、ケータイ画面を見た、まさに、まさに、その瞬間に報せはとんできた。

 

 『【速報】嵐が2020年で活動休止を発表』

 

 何を言われているのかがさっぱり分からなかった。寝不足で足りない頭だったからだ。……というか、わたしの中では、そのような話は一二を争うレベルで想像してもみなかったものだからである。いや、日頃彼らの番組や多方面で活躍するその姿を観ている人で、近い未来にそのような日がやってくることが予想がついた人間がいくらいただろう。

 とりあえず、一度寝て、起きてから色々なことを考えようと思った。いつも一缶を空けるスピードはそこそこはやい方ではあるが、いつも以上に一気に流し込むようにして、一気に寝た。

 目が覚めたら、発表に伴う緊急記者会見の様子がテレビで流れていた。

 寝て起きても、やっぱり何も変わってはいなかった。

 ああ、本当に休止するんだ、と、思った。

 

 わたしが嵐のことを知り、嵐のファンになったのは小学生のときである。

 当時のわたしは、わたしを含めた6人グループでよく一緒に行動を共にしていた。そのグループでかたまるようになった当初から、わたし以外の5人全員は既に嵐のファンだった。

 わたしはというと、まあ、あの時期に何を知っていて何に特に興味をもっているかというのは、親の趣味思考に大部分を左右されるのではないかと。というわけで、ジャニーズという一ジャンルについて全く詳しくない母(今でこそ娘からの影響でかなり知るようになったが)をもつわたしは、あの時は嵐のメンバー全員の名前すらも言えないくらいに彼らのことを全然知らなかった。

 そんなわたしを、嵐好きで繋がっていた当時の彼女たちが仲良しグループに入れてくれたキッカケが全く思い出せないし分からないのだが、まあそのうちの2人とは20歳を越えた今でも交流があるので、とりあえずそれについては良しとしたい。

 さて、5/6人が嵐ファンとなると、言うまでもないが日々の話題の中心は嵐一択だった。最初は、さすがに彼らのバラエティーとか出演ドラマを観ないと話題についていけなくてヤバイ、正直そのような義務感に駆られつつ、彼らの番組を少しずつ追いかけるようになった。

 でも義務感にみまわれていた時期なんていうのは、ほんの少しの間だけだった。彼らにわたしもすぐに心から魅了され、惹かれるようになった。

 たとえば、楽曲の中の世界で時に楽しそうに、時に悲哀に満ちて、時に全てを貫くような鋭い眼差しで舞う彼らの様々な表情。たとえば、日頃のご本人の人柄とは全くかけ離れて別の人間としてお芝居の世界で生きている姿。たとえば、バラエティー番組でおもいっきり弾けた笑顔を見せる瞬間。

 それまで、アイドルというものをほぼ知らずにいたわたしにとっては、本当にそのひとつひとつが強すぎるくらいに輝きをはなって見えた。智くんが、翔くんが、相葉ちゃんが、にのちゃんが、潤ちゃんが、まるでそれぞれが何人も存在しているのではないかと思わせられるほどに、多方面で活躍し、数え切れないほどいっぱいの表情をもっていた。すごく、キラキラだった。

 そうやって嵐のことを応援し始めたのが、確か『Everything』が発売されてしばらく経ったくらいの頃だと思う。で、初めて両親に頼んで買ってもらった嵐のシングルは『迷宮ラブソング』だ。そう、CDを買ってくださいとお願いできるようになるまで、結構時間がかかった。なにせ当時の我が家には、そんな風にアイドルを応援する習慣がなかったので、単純になんだか照れくさくて、素直に切り出すのに時間がかかったのだ(両親それぞれにも応援している人というのはいるが、アイドルというジャンルとは少し離れる人たちであるが故に)。あと、そもそもわたしは『好き』を主張するのが非常にヘタクソな人間である(これについてはまたブログで書きたい)。そうであるから、欲しいとなかなか言えなかったのだと思う。

 そういうわけで、今となっては嵐の楽曲で好きなのは、と訊かれれば一番に挙げたくなるのはマイナーな曲であるが、迷宮ラブソングがわたしにとっては別格に思い出深い一曲であることは、きっといつまでも変わらない。

 

 今になって思い返せば、その仲良しグループに入れてもらう前に、わたしは実は当時の別の友人と『ヤッターマン』を観に行っているのだが、あの時のわたしは、嵐の櫻井くんが出ているから、という理由ではなく、キッズステーションで毎晩ヤッターマンを観ていたから実写も知りたくて、という理由で劇場に足を運んでいた(なにせ我が家はどちらかといえば2次元寄りなオタク気質がある)。

 しかし、あの時一緒に映画を観に行ったのは当時のクラスメイトであったわけだが、ただの陰のキャであるわたしとは対象に、とても大人しく本当に華奢で、むやみやたらに触れることは許されない繊細な花のような存在の女の子であったのだ。何故そのような子と映画を共にするラッキーチャンスをワイみたいな者が手に入れられたのかは、もはや全く思い出せない。だが、あの時一緒にイオンシネマに行ってヤッターマンを観て以来、わたしは今でもそのお花の彼女に仲良くしていただいている。エンドロールでBelieveを聴いている時のわたしは、まさかその後、嵐のことが大好きになるとは想像もしていなかっただろう。

 

 さて、このような経緯で嵐が大好きになったのだが、実はこの後、中学校生活後半に突入したあたりでわたしは2次元&声優オタクの道を歩むようになって、何年間も嵐の情報を追いかけずに過ごすようになる。

 先ず大前提として、嵐に全く興味が無くなったわけでは決してない。

 中学生になってクラス替えを経ることで、嵐で繋がった友人たちとは全く別のクラスになり、そして、これまた小学校当時から交流のあった別の友人が2次元や声優への興味が強くなったのにわたしも引っ張られて、趣味の中心がそちらへとシフトチェンジされた。まあそういうのを、興味が無くなったと表現するのではとも言えるが、新しい世界へと没頭しながらも新曲をちまちま聴くくらいは定期的にしていたので、繰り返すが全く関心が無かったわけでもない。

 そして、高校生になってからは声優好きがさらにヒートアップした。めちゃくちゃ深夜アニメ観てたし、めちゃくちゃ声優ラジオ聴いてた。この時、嵐のコンサートにはいまだ行ったことはなかったが、声優イベントにはちょろちょろと行くようになっていた。

 

 そんなわたしが再び嵐に熱中するようになったのがいつかというと、高校3年生の冬である。

 当時、本来ならばセンター試験直前!な予定だったろうが、高3の秋口に色々な出来事と感情にぐちゃぐちゃに襲われたわたしは、不登校になっていた(まあすぐに休学したから、正確に言えば不登校と捉えるべき時期は1ヵ月ちょいちょいくらい。これもまたいつかブログで……)。病というほどではないが、ある程度のレベルまで精神を病んでしまっていたので、だいたい家に引きこもっていた。

 

 その時に、たまたま、本当に久しぶりに、『嵐にしやがれ』を観た。

 

 木曜19時にフジテレビを観る習慣も、土曜22時に日テレを観る習慣も、もう何年も前になくなってしまっていた。関心が無くなったわけではない、しかしながら、それ以上に必死で追いかけたい人がいたから、嵐のレギュラー番組を見逃さないという癖はすっかり抜け落ちてしまっていた。

 

 久々に観たしやがれは、なんと、セットが回転しなくなっていた。

 

 でも、そこには、やっぱり、強いキラキラを発する5人がいた。

 

 あの時、ひどくぼやーっとしていて喜びを見出せなかった世界に、それこそ美しい5色の虹がかかったような気がする。自分がこんなにもつまらなく荒んで、日々を何の実りもなく過ごしている間にも、彼らは画面の向こうで、何年経っても、より魅力を増した姿で一線を率き続けていた。なんて素敵なんだろう、と。泣いてしまった。まだわたしにもこんなに素敵で大きな心のよりどころがあったんだ、奥底から救われた。家にいるばかりじゃなくて、ちゃんと人間らしい人間に戻って、やっぱり大学生になれるように勉強しなおそうって、生きる活力がわいてきたのを覚えている。

 あの日あの時、しやがれを観ていなければ、今どのようになっていたか、ちょっと分からない。

 

 予備校生活というのは、人によって明暗がかーーなり分かれるものである。予備校内恋愛とかしちゃってなんとなくいい感じに進学をきめこむ者もいれば、予備校内に友だちができずどんどん落ち込んでいく人間だっている。

 わたしは予備校では1人しか友人ができず、単独行動ばっかりしていたが、高校と違って放任主義をとってくれる予備校生活というのは、身が軽く、個人的には充実していた。

 そして何より、毎週木曜日と土曜日は予備校から帰ってきたら嵐を観れたから、数ヶ月置きに新しいシングルが発売されるから。そのひとつひとつが頑張る理由になったから、嵐を応援していたから、わたしの浪人生活はわたしにとってはひじょうにキラキラしていた。

 金銭面にはある程度制限があったが、それでも、小中学生の当時にはできなかった応援の仕方ができるようになっていた。そう、親に頼まなくてもCDを予約して買えるようになったことには本当に感動を覚えた。

 合格通知をもらってから聴く嵐のニューシングルというのは、本当に格別だったさ。

 

 思えば、わたしの人生のターニングポイントとなるところには、いつも嵐の存在があった。

 わたしのようなガサツな女とは真反対なタイプの女の子と仲良くなれたのは、ヤッターマンを観に行ったから。

 きっとこの先、一生の友だちといえるであろう人に出会えたのは、嵐を好きになったから。

 もしかしたら二度と立ち直れなかったかもしれなかった引きこもりがそうではなくなったのは、嵐がずっと一線で活躍しているから。

 元引きこもりが、たった1年で一学生として社会に復帰できたのは、嵐の活躍する姿に元気をもらっていたから。

 

 永遠などこの世界にはない。何かが始まるとき、それは同時に、その何かが終わる瞬間へのカウントダウンが切られる瞬間でもある。

 それでも、永遠なんて無いこの世界で、永遠だと思わせてくれるほどに。思わせてくれるほどの人たちなんですよ。嵐は。

 芸能界がどのような世界かなんていうのは、外側にいるわたしにはとても想像もつかないけれど、でも、一分一秒後にはどう大きく変化しているか分からない業界だというのは知っている。嵐だって、いつ一線から離れるかなんて誰にも分からない。

 理屈ではそんなことは知っていた。だから、自分にとって可能の限りの全力の熱を一ファンとして注いできた。

 でもね、やっぱり、心のどこかで、永遠の可能性だって信じていたんですよ。

 たとえ数年あまり追いかけていなくても、いつでも帰ってこれる場所みたいに考えていたのかもしれない。この表現が適切かどうか分からないが、そう、実家のような。いつ帰ってきても許される、いつだってあの5人はいるんだって。

 

 正直、わたしは一ファンとして全力をかけて応援してきた時間は短い方だと思う。でも今回の発表以来、心には底というものが無いのか??というくらい下に、下に沈んでしまっている。現時点で、学科の必修科目のテストを2つもぶっ飛ばしている。ただでさえ単位が無い女なのに、ますます卒業が遠ざかっている現状だ。

 嵐のことが好きだ、という自覚は勿論あった。しかし、ここまで深く深く、心の奥底から、嵐という最高のアイドルの存在に支えてもらっていたのだと、改めて今回実感したわけである。正直、発表された瞬間はこんなにも自分が落ち込むとはあまり思っていなかった。

 

 最高の記者会見だった。あんなにラフであり、前向きで、そして力強い意志を感じる一つ一つの言葉。色々大人の事情も含めもうけられた時間的猶予であるとは思うが、同時に、ファンの心の整理期間にもなるという、圧倒的に誠意あるその締め方。着地点を固めた5人は、やっぱりいつものあの5人の輪をまとってあの場に立っていた。

 最高すぎたんだ。そして、最高だったからこそ、悲しくもある。少しでも責めれるところが存在していたら、むしろ心のハケ口が存在して気がまぎれた可能性もあるが、あまりにも完璧だった。何か言うスキなんてひとつも存在していなくて、やっぱり大好きな5人のままだったから、嗚呼本当に美しいままにこの人たちは着地をしていくんだなと、その綺麗すぎる形とある種儚さすら感じる眩しい姿に、涙があふれてくる。

 

 永遠すら感じさせてくれたあの輪の第一章の閉幕までのカウントダウンが始まっている。

 ここまで、自分ゴトばかりを混ぜて書いてきたため、こんなところまでたどり着いている人はまあほぼいないとは思うけれど、もしも、もしも今これを読んでいるあなたが嵐のファンでなかった場合、わたしからあなたに一つだけお願いがある。

 「まだ2年もあるじゃん」なんて言葉は、決してつかわないでほしい。

 これは、わたしが今回の発表に伴い、近しい人間に言われて深く傷ついた言葉である。「まだ2年もあるから、そのうちまだやめてないの?とか思っちゃいそうだね」と。

 カウントダウンがつきまとうその2年という年月が、ファンにとってはどれほど様々な感情が入り交ざる重いものなのか。少し、ほんの少しでいいから、配慮してほしい。

 

 2021年1月1日をむかえた瞬間、自分はどうしているのだろうという想像は今は全くつかない。というか、想像したくないってのが本音だ。

 でも、とりあえず、このブログを書いたら、テストぶっ飛ばしてばっかりじゃなくてまた人間らしい生活に戻さなきゃと決心してたので。Sunshineを聴きながらわたしは今から朝ごはんをつくろうと思います。